前のページへ
1/6
ハジマリの旅路
01 旅 ノ ハジマリ
キラキラと瞬く星。
どこまでも続く、広い空間。
これは、ハジマリの記憶。
「私」が「私」という存在になる前の、「私」という自己意識ができあがる前の、かつての「ワタシ」の遠い記憶――
いつからそうだったのかはわからない。かつての「ワタシ」が、自我を持ち始めた頃には既に、「ワタシ」は宇宙という空間を漂うように旅をしていた。
今の「私」のように、自由に動かせる手足はなく、意思を伝える声もその相手もなく、けれどその旅に不自由はなかった。
「ワタシ」の意思ひとつで、「ワタシ」はどこへでも向かうことができた。
遠くに視える生命芽吹く豊な惑星。
行こうと思えば、簡単に「ワタシ」のカラダはその場所へと向かった。
遠くから眺める、惑星。
近づくことも、遠ざかることも、「ワタシ」は自由にできた。その惑星の引力圏に入りさえしなければ、「ワタシ」は自由。
どこまでも、自由。
降り立つことをしなくても、その惑星の様子を視ようと思えば、簡単に視ることができた。生命が芽吹き始めたばかりの真新しい惑星には、希望に満ちた多くの可能性を秘めた未来を視た。生物たちが生き死にを繰り返し、生命の連鎖が続いている惑星には、長い歴史の中で生まれた強固な絆を視た。すでに生命が息絶え、古び、滅びた惑星には力強い生命の再生の兆しを視た。
「ワタシ」は永い旅の中、多くのモノを視た。多くの生命の誕生と、滅びる様を「ワタシ」はただ眺め、通り過ぎる。
そうして、多くの星々とすれ違った。
「ワタシ」と同じように、広い宇宙を旅する星々。中には、軌道を違え惑星へと墜ちていく星もあった。そして、惑星へと向かった彼らが、再びこの宇宙へと戻ってくることはなかった。
彼らが降り立った惑星が、余程の楽園なのか、それとも、戻る術(すべ)を失ってしまったのか。
その答えを知るときは、「ワタシ」が惑星へと墜ちるときだろう。
「ワタシ」は多くの星々とすれ違ったけれど、「ワタシ」と同じように意思を持つモノと出会うことはなかった。
「ワタシ」はヒトリ、旅を続ける。
寂しさも、楽しさも、「ワタシ」には何もない。
けれどそれが苦痛だとは、思わない。
それが「私」の当然だ。
ただ、この広い宇宙に「ワタシ」という個体が存在する。
ただ、それだけの事実を「ワタシ」は受け入れている。
隣には誰もなく、これまでも、これからも、共に旅するモノはない。これまでも、これからも、変わることのない永遠の独り旅。何に引き止められることも、縛られることもない、自由な旅。
どの惑星にも降り立つことはなく、ただ視るだけの旅。
「ワタシ」は、視るだけの存在。そうで在り続ける。
これまでも、これからも、永遠に、永久に――このカラダが朽ちるまで……。
-1-
前のページへ