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ハジマリの旅路
06 旅 ノ オワリ

 00年10月25日。
 「ユキ」の意識が途絶えた。やはりただの「ニンゲン」である「ユキ」が、「ニンゲン」の持ち得ない力に耐え得ることはできなかった。
 命の灯は消えかけ、そして「ワタシ」も同じ運命を辿ろうとしている。

 「ワタシ」も、もうそのときがきた。

 慌てる「ニンゲン」たち。「ユキ」の手を握る、「スグル」の手を温かいと感じるのは、きっと錯覚だ。「ワタシ」にはそんな力――温かいと感じる感覚さえ、もう残されてはいないのだから。

 原因がわからないと、奔走する「ニンゲン」たちの中で、「イイダシュウエイ」だけがその理由を知っていた。

 けれど、彼は何も言わない。

 消えかける我が子の命を見つめながら、それでもなお、未知なる可能性を秘めた人ならざる子の命を優先していた。

 どちらにせよ、もう何もかもが手遅れだった。

 子供は、完全に個としての自我を形成していた。強い力を保有したまま、人ならざる個としての存在へと成長を遂げている。子供の気1つで、その強い力はどこへでも向かう。
 その強い力を向けた先に何があるのか、その先の未来に何が起こるのか、子供が考えることはできないだろう。
 力を抑える術(すべ)も、持ち合わせてはいない。

 子は母を殺し、子もその命を落とす。

 それが1番の正しい選択なのかもしれない。その力は本来、「チキュウ」にはあるはずのない、「ニンゲン」にもたらされるはずのない力なのだから。

 生まれる前に、消えた方がいい。
 「ワタシ」も共に逝こう。

 00年10月26日。
 「イイダシュウエイ」が、子供を母体である「ユキ」の胎内から取り出す決断を下した。

 それは、何のためなのか。
 今更子供を母体から離しても、母体である「ユキ」は助からないというのに。

 けれど、「イイダシュウエイ」は、母体である「ユキ」が死ぬことで子供に影響が及ぶことを危惧した。

 「イイダシュウエイ」は子供を母体から離し、子供は「チキュウ」に残った。

 母であった「ユキ」は死に、傍に居た「スグル」も共に逝った。
 そうして、「ワタシ」も。

 残された子供の行く末を、「ワタシ」は視ることができない。
 「イイダシュウエイ」の手に渡った子供がどうなるのか、「ワタシ」は知ることができない。

 「ワタシ」の永い旅が終わりを迎える。
 生という名の永い旅だ。
 宇宙を旅した「ワタシ」。
 様々なモノを視た「ワタシ」。
 「チキュウ」へ降り立った「ワタシ」。
 すべてが、「ワタシ」。

 「ワタシ」の永い旅が終わる。

 ソラを見上げた。
 夜だった。

 今日は、「ニンゲン」たちが灯した明かりが消えた。最期に視たソラは、星空だった。ソラを飾る、綺麗な瞬く星々。それはまるで宇宙の様だった。

 ソラへ――故郷へ帰ったのだと錯覚してしまうほどに、美しく懐かしさを覚えるソラだった。

 永い旅を終え、生から解放された「ワタシ」は、自由だ――

*** ハジマリの旅路 終 ***

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