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優しさの理由
02 死シテ 生マレテ
真っ暗な闇。
そこで「わたし」は2つ目の生を受けた。
「わたし」が「わたし」という存在を自覚したとき、「わたし」の意識は2つあった。
1つは真っ暗な闇の中に存在する「わたし」。
もう1つは、「わたし」が存在する場所とは別の場所で、空を見上げている「ワタシ」。
初めは微睡みのような、どちらが「わたし」なのか、「ワタシ」なのか、境界線がわからない曖昧なもの。
けれど、空を見上げる「ワタシ」の意識は日を重ねるごとに弱く、小さく、消えていく。
それに反して、暗闇の中の「わたし」は日々意識がはっきりと確立されていった。
「わたし」も、「ワタシ」も、同じ自分という存在であって、けれども全く別の生き物。
それを理解したとき、もう1つの「ワタシ」の消滅を予感した。
「ワタシ」が死に、「わたし」が生きる。
それは感覚的なものであって、人の言葉で説明するのは難しい。
何故なら、「わたし」は人ではないから。
「わたし」が「わたし」という存在を自覚したとき、自分が存在する空間のことが何1つわからなくても、遠く聞こえる言葉(おと)の意味がわからなくても、それだけはしっかりと理解していた。
「わたし」は、人にはなれない。
それでも、ママの声は優しかった。
いつも、「わたし」に話しかけてくれるママ。
「わたし」が、人になれないとママは知らない。「わたし」が、ママのいる世界に生まれて、ママが「わたし」の姿を目にしたとき、ママは「わたし」をどう思うだろう。
悲しんで、泣いてしまうかもしれない。
あまりにも違いすぎて、嫌われてしまうかもしれない。
だけど、「わたし」はママの優しい声を手放したくはなかった。
いつまでも、その優しさにすがっていたかった。
ママは「わたし」に、安らぎを与えてくれるから。
ママの名前は「イイダユキ」。
「ワタシ」を調査する研究員の1人。
ママが「わたし」をその身に宿しているとわかったその日から、ママは現地での勤務を退いた。
その「ワタシ」は、もうすぐ消えてなくなるけれど、「わたし」はこうしてココにいる。
ときどき聞こえるパパの声も、「わたし」は好き。
パパの名前は「イイダスグル」。
パパもまた、「ワタシ」を調査する研究員の1人。
パパがママにかける言葉はいつも優しかった。
パパの手が「わたし」へと近づいたときは、触れることはないとわかっていても、その手が心地良く温かかった。
ママが、そう感じていたからなのかもしれない。
パパがいると、ママの心は満たされて、「わたし」の心もママの心に習って満たされた。
そんな時間が終わることなく、永遠に続けばいいと、そんなことを思った。
だけど、そんな幸せな時間は突然終わってしまった――
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