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優しさの理由
03 キョージュ ト イウ人
あれから「わたし」は水の中。
ママと一緒だった頃と似たような、だけど決して同じにはならないその空間に、「わたし」はいる。
ガラスに囲まれた水槽の中で、「わたし」は毎日「キョージュ」の姿を眺める。
「キョージュ」は、「わたし」がいる水槽と同じような26個の水槽を毎日熱心に見ていた。
初めは空っぽに見えたソレ。
けれど、「わたし」はわかっていた。その水槽の1つ1つに、小さな生命が宿っていることに。
その小さな生命は、「わたし」の欠片。
「キョージュ」は、「わたし」がママと離れた日、「わたし」の生き物としての情報を盗っていった。
そのときのことは、よく覚えていないけど、あの水槽の1つ1つにいる生命に「わたし」の1部が入っていることは意識しなくても感じ取れる。
「キョージュ」は、「わたし」の欠片を使って別の新しい人間をつくろうとしていた。
「わたし」がママと一緒にいたときから、ママの周りでは「不思議なこと」がよく起こっていたらしい。
明かりがチカチカしたり、物が落ちたり、壊れたり、割れたり……。
それが「わたし」のせいだと、「キョージュ」は知っていて、だから「わたし」と同じように「不思議なこと」を起こせる人間をつくろうとしていた。
何のために?
それはわからない。
だけどそれは、「キョージュ」にとってとても価値のあることみたいだった。
「わたし」の欠片を使ってつくられた小さな生命たち。彼らは「キョージュ」が望んだように個体としての成長を始めた。
でも、彼らは人間のカタチにはなれない。
「わたし」が人間のカタチになれないように――
彼らもそれはわかっていた。
それでも彼らは成長を続けた。
生き物としての本能的な何かが、彼らを生きることに執着させた。
彼らの成長に伴って、「わたし」の意識は26個の個体の意識と交流を始めた。
彼らは、人間のカタチこそしていないけれど、「わたし」と同じく意思を持った――1つ1つが個々の意思を持った生きる者に違いはなかった。
彼らの視点を通して、「キョージュ」の姿を視ることもできた。
また、彼らが「わたし」の視点を通して視ることもできた。
「わたしたち」は、個々で別の生き物としていながら、どこかでつながっていた。
「わたしたち」は自分自身の視点と、26個の他人の視点、27個の視点を持つことになった。
彼らの視点を通して、「わたし」は「わたし」自身の姿を視ることができた。
人間の姿とは程遠い。
生き物であるのかさえ、疑いたくなるようなカタチをしていた。
こんな姿を、パパとママに見せることがなくて良かった……。
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